奥村晃作短歌ワールドへようこそ!

第二歌集『鬱と空』の世界をちょっぴり覗いてみて下さい。わが歌友の岩舘澄江さんが案内してくださいます

奥村晃作歌集鑑賞『鬱と空』後半を更新しました。 35首、紹介させていただきます。 1980年〜1981年、奥村先生が44歳から45歳までのお歌。 第二歌集『鬱と空』 奥村晃作鑑賞【後半】|sminov_i #note
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第二歌集『鬱と空』 奥村晃作鑑賞【後半】

sminov_i
2022年6月5日 19:24


螢光の青光あおびに背をば照らされて水槽一杯に浮かぶ鮟鱇あんこう

それでは今回は第二歌集『鬱と空』の後半になります。前半はこちら

昭和五十五年(1980年)

鮟鱇

ボールペン
はつきりとこつちがいいと言ひくれし女店員が決めしボールペン持つ

金魚
学校の玄関傍の用水に氷が敷きて金魚ひそめり

受験
熱退かぬ子の負け心見定めてけとばす如く学校に

ラッパ水仙
木蓮の丈低き木の幼木がふつうの大きさの花咲かせをり

朝の教員室
いつもいつも世界史の鹿野しかの先生は一時間かけて朝日新聞読む

今岡正道先生
酒飲めば老爺の如く和やかな赭ら顔にて声も弾めり

煙草の害しつこく説ける世に経りて煙草の徳を言ひ出でよ誰か

フラミンゴ
フラミンゴ一本の脚で佇ちてをり一本の脚は腹に埋めて

ゆるゆると水中を行く真鯉らのどれも体のどこかがいびつ

デモの河
弁当の空箱詰まる金網の屑籠に群るる夕雀たち

集会の声の渦湧く森過ぎて無人のバスの並べるを見つ

地響ぢひびきを上げつつデモの河が行く広き車道の半ばを占めて

強権と民衆
右旋回つづく世にり金大中あやめんと狙ふ強権のかさ

日曜の静寂しじまきて軍服を着る者ら叫ぶ自動車の行く

自由民主党支持する選挙の厚き層ののつぺらぼうのこの層は何

富士山
遊べるは中学少女ばかりなり浜は熱き砂われは身を焼く

この夏はをかしな事件続発す富士山で石が人を潰せり


犬用のシャンプー凄し犬が持つけものの臭忽ち消しぬ

 

昭和五十六年(1981年)

わが犬、その名はプッキー
路角の出合頭にプッキーが秋田犬と狂ひ妻転倒す

石のベンチ
太陽はいまわれに照る公園の石のベンチに身をのすわれに

河口湖
きぞの夏巨石いしを飛ばしてにんげんをあやめし富士の山かとぞ見る

水鳥のからだの羽がの如く水を弾けり水上の鳥

日翳れば忽ち寒し湖のおもて吹き来る風に向かひ立つ

ハゲの男
鮮明な黒と黄の縞ゴムまりの如くにふくらむ蜘蛛の胴体

あれで妻、母かと思ふ梅の木の下で茶をぐおかつぱ少女をとめ

中年のハゲの男が立ち上がり大太鼓打つ体力で打つ

鬱王
歌詠みてしんの鬱をば解きほどく繰返くりかへしならんわれにわが歌

体操のテレビの少女ら清しければ体曲げつつ微笑まずともよし

赤信号の路
にんげんが創りし地上のくさぐさは見ずにひたすらつちを嗅ぐ犬

よろこびのかぎり尽くすか犬の耳二つの耳がぴつたりと伏す

妻怒りわれも怒りて打ち据ゑし犬は夜鳴きす野に返るごと

沖縄
われの子の少女高二の十七歳これなる年齢としに果てし少女ら

車座に家族ら寄りてなかに置きし手榴弾もて果てしと記す

背の低き人
身の丈の息子も妻の丈超えて背の低き人となりにき妻は

***
『鬱と空』後半から35首引いた。
本作は昭和53年(1978年)〜昭和56年(1981年)の歌で奥村先生は当時42歳から45歳。4年間の作品477首を収めたものである。自身は中年に差し掛かり、子どもたちは受験を迎える年頃に成長している。
「強権と民衆」の連作は、隣国、韓国の1980年に起きた光州事件に触れたものだろう。当時の殺伐とした様子や金大中の存在感が生々しくイメージとして伝わってきた。光州事件というと、韓国映画の『タクシー運転手 役約束は海を越えて』が記憶に新しい。事件当事者でなくとも、激動の同時代を生きる歌人として、見聞きし感じたその瞬間の「心」を詠むことはやはりとても重要な仕事だと思う。

今回も動物や花の歌が独特の光を放っている。
木蓮の丈低き木の幼木がふつうの大きさの花咲かせをり
ゆるゆると水中を行く真鯉らのどれも体のどこかがいびつ
若干余計なお世話というか、なんとも言えない情緒とユーモアのあるこちらの2首。ざっくりとした解像度で世界を見ていたら気にも止めないようなことをものすごくクローズアップして指差している。そして私たちは常に一定の枠組みで事物を見て決めつけていることに気付かされるのである。世界のはみだし部分を指摘しているようだが、こうした現実世界の尊い一部分に気づき、引き出し、歌い上げるのは歌人ならではの大切な営みだと改めて実感した。

次回は第三歌集『鴇色の足』について取り上げます。

第二歌集『鬱と空』 奥村晃作鑑賞【前半】

2022年5月22日 15:05

現代ただごと歌の提唱者として著名な歌人、奥村晃作の歌集を第一歌集から鑑賞。前回は第一歌集『三齢幼虫』、今回は第二歌集、『鬱と空』です。

奥村晃作 

1936年生まれ。長野県飯田市出身。宮柊二に師事。元「コスモス」編集委員・選者。江戸時代の近世和歌の研究を通じて「ただごと歌」を世に認知させた。「現代ただごと歌」を提唱し、実践。現在、第18歌集『象の眼』を準備中。毎日Twitterで新作の歌を発表されている。

日本文学全集『近現代詩歌』(2016)に掲載の、穂村弘による紹介文を一部抜粋します。↓

奥村晃作はとても過激な歌人である。独特の作風は、短歌に慣れ親しんだ人を困惑させる一方、熱烈なファンを持つ。その作品には「王様は裸だ」と叫んだ子供のような素直さがある。(中略) 奥村晃作には普通の大人が当然身につけている筈の意識のフレームがない。生存に優位な情報を重く見て、そうではない情報を軽く見ると言う判断が解体されている。

日本文学全集『近現代詩歌』穂村弘 河出書房新社

***

第二歌集『鬱と空』奥村晃作歌集 石川書房 昭和58年

昭和五十三年(1978年)

老人
男らがボインとぞ呼ぶ乳房なり下半分を布で締め上ぐ

酒煙草珈琲ものみて欠かさずに毎日のみて仕事に励む

紅白の歌合戦はくだらぬとことにせど妻も子もわれも見る

通勤電車
もみくちやのにんげん詰め込む準急の箱が目前まさきを轟々と過ぐ

もし豚をかくの如くに詰め込みて電車走らば非難起こるべし

憲法第九条
キツイキツイと声の起これど生徒等に憲法第九条の暗唱を課す

前に立つ三人の女子高校生なかの一人がことにうるさし


墓地の路行きすがひたる少女にてランドセル背にわれを見返る

おしのごと静けくなりてが室に半日こもる子を覗き見ぬ

S君
転校を拒みつづけてその家庭守らむとせしか幼き胸に

セックスの不和しんけんに争ひて別れし二人に子がゐたりけり

プラスチックの容器
ヤクルトのプラスチックの容器ゆゑ水にまじらず海面うなもをゆくか

成田新国際空港
一匹の蟻もとほさぬ空港の入口の扉の前に立ちたり

われを見てゴキブリの奴ぽつとりと壁からはがれ身を落したり

昭和五十四年(1979年)

白木蓮の蕾
四十二歳しじふには厄年かオレはその年齢としに家を建てたと叔父が言ひ出す

上質のハム一片を呑み込みて次を促すあをき犬の眼

帰省
肉太ししぶとの若き女のかなしみはかなしきゆゑにもりもり食ふか

壮年
妻も子も気味悪さうに眼の上の水疱おでき見つめて医者に行けといふ

きりきりと顔面いたむヘルペスをわが生様いきざまの証とぞする

根詰めて歌直す時むづがゆし眼の上のりふヘルペス軍団

インフレ
股下に秘処ひめどをば持つ女といふ生きものいまだにわれの苦の種

尾鷲(二)
臓物はらわたを抜き捨て皮を剥ぎ捨てて真水にぼらの白き身洗ふ

舟虫の無数の足が一斉にうごきて舟虫のからだを運ぶ

青葉
樹木らの青き葉群が空かくす涼しき洞のベンチに坐る

戸田橋の上
降り出して一週間か朝昼夜止まず落ち来る雨は空から

将棋
いつも一人で勝手に振舞ふ人なりとわれを説明する妻の声聞ゆ

真面目過ぎる「過ぎる」部分が駄目ならむ真面目自体そのものはそれで佳しとして

***

『鬱と空』前半27首、好きな歌を紹介いたしました。
奥村先生の歌の、“女性について容赦ない”感じが私は大好きです。
今回紹介した歌の中でも、冒頭の一首目と、女子高生がうるさいという歌。
奥村先生は女性に限らず、中年男性や子ども、動物とあらゆるものについてまっすぐな眼差しで歌い上げられていますが、特に女性、少女、妻についての、余計な配慮のない、あっけらかんとした歌いっぷりが痛快で、心に響きます。それらが特に光って見えるのは私が女性だからかもしれません。腫れ物のような扱いでも、神秘的な扱いでもなく、他の存在物と同じように、土臭く血の通った存在としてラフに描かれている感じが何とも気持ち良いです。

次は後半、昭和五十五年、昭和五十六年を紹介します。

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